作者 [編輯]
歌詞 [編輯]
一 車輪のひびき笛の聲
みかへる跡に消えて行く
上野の森の朝月夜
田端は露もまださむし
二 見あぐる岸は諏訪の臺
それにつゞきて秋の夜は
道灌山の虫のねを
此處迄風や送るらん
三 見よや王子の製紙塲
はや窻ちかく來りたり
すきだす紙の年にます
國家の富もいくばくぞ
四 春はさくらの飛鳥山
秋は紅葉の瀧の川
運動會の旗たてゝ
かける生徒のいさましさ
五 まもなくきたる赤羽は
品川ゆきの乘替塲
目白目黑の不動へも
よれや序の道なれば
六 蕨すぐれば浦和にて
その公園は調の宮
埼玉縣の縣廳も
この地にこそは置かれたれ
七 大宮おりて八九町
ゆけば氷川の公園地
園は螢に名も高く
宮は武藏の一の宮
八 上尾桶川鴻の巣に
近き吉見の百穴は
古代穴居の人のあと
見るも學びの一つなり
九 吹上すぎてながめやる
熊谷土手の花ざかり
次郞直實生れたる
村の名今につたへたり
十 深谷本庄神保原
左に雲のあひだより
みゆる秩父のふもとなる
大宮迄は馬車もあり
十一 はや新町も倉賀野も
またゝくひまに行きすぎて
今ぞ上州高崎の
繁華の町につきにける
十二 町の東北前橋へ
汽車にてゆけば十五分
群馬縣廳所在の地
上野一の大都會
十三 若葉紅葉によしときく
伊香保の温泉榛名山
高崎よりは程ちかし
避暑にも人のゆくところ
十四 みわたすかぎり靑々と
若葉波うつ桑畑
山のおく迄養蠶の
ひらけしさまの忙がしさ
十五 線路わかれて前橋の
かたにすゝめば織物と
製絲のわざに名も高き
桐生足利とほからず
十六 高崎いでゝ安中の
つぎは磯部の溫泉塲
うしろをゆくは碓氷川
まへに立てるは妙義山
十七 鉾か劍か鋸か
獅子か猛虎か荒鷲か
虛空に立てる岩のさま
石門たかく雲をつく
十八 あとに見かへる松井田の
松のみどりもかげきえて
はや橫川につきにけり
おりよ人々水のみに
十九 これより音にきゝゐたる
碓氷峠のアプト式
齒車つけておりのぼる
仕掛は外にたぐひなし
二十 くゞる
ともし火うすく晝くらし
いづれば天地うちはれて
顔ふく風の心地よさ
二一 夏のあつさもわすれゆく
旅のたもとの輕井澤
はや信濃路のしるしとて
見ゆる淺間の夕煙
二二 くだる道には追分の
原とよばるゝ廣野あり
桔梗かるかや女郞花
秋の旅路はおもしろや
二三 御代田小諸とすぎゆけば
左に來る千曲川
立科山をながれ出て
末は越後の海に入る
二四 諏訪の湖水をみる人は
大屋をおりて和田峠
こゆれば五里の道ぞかし
山には馬も駕籠もあり
二五 上田をあとに走りゆく
汽車は坂城に早つきぬ
川のあなたにながめやる
山は姥捨月見堂
二六 田毎の月の風景も
見てゆかましを秋ならば
雲をいたゞく冠著の
山は左にそびえたり
二七 屋代篠井うちすぎて
わたる千曲と犀川の
間の土地をむかしより
川中島と人はよぶ
二八 此處に龍虎[1]の戰ひを
いとみし二人の英雄も
おもへば今は夢のあと
むせぶは水の聲ばかり
二九 長野に見ゆる大寺は
是ぞしなのゝ善光寺
むかし本田の善光が
ひろひし佛なりとかや
三十 此處にとゞまるひまあれば
戶隱山にのぼり見ん
飯綱の原のほとゝぎす
なのる初音もきゝがてら
三一 豐野と牟禮と柏原
ゆけば田口は早越後
軒迄雪の降りつむと
きゝし高田は此處なれや
三二 雪にしるしの竿たてゝ
道をしへしも此あたり
ふゞきの中にうめらるゝ
なやみはいかに冬の旅
三三 港にぎはふ直江津に
つきて見そむる海のかほ
山のみなれし目には又
沖の白帆ぞ珍しき
三四 春日新田犀潟を
すぐれば來る柿崎の
しぶしぶ茶屋は親鸞の
一夜宿りし跡と聞く
三五 鉢崎すぎて米山の
くゞる
いづれば廣きわたの原
佐渡の國迄くまもなし
三六 みわたす空の靑海川
おりては汐もあみつべし
石油のいづる柏崎
これより海とわかれゆく
三七 安田北條來迎寺
宮內すぎて長岡の
町は名たゝる繁華の地
製油の煙そらにみつ
三八 汽車の窻より西北に
ゆくゆく望む彌彦山
宮は國幣中社にて
參詣男女四時たえず
三九 彌彦にゆくは三條に
おりよと人はをしへたり
吾身は何も祈らねど
いのるは君が御代のため
四十 加茂には加茂の宮ありて
木の間の鳥居いと淸く
矢代田驛の近くには
金津の瀧の音たかし
四一 十一年の御幸の日
かたじけなくも御車を
とゞめ給ひし松かげは
今この里にさかえたり
四二 もみぢは新津秋葉山
櫻は龜田通心寺
わするな手荷物傘鞄
はや此處なるぞ沼垂は
四三 おるればわたる信濃川
かゝれる橋は萬代の
名も君が代とときはにて
長さは四百數十間
四四 川のかなたは新潟市
舟ゆく水の便よく
わたせる橋をかぞふれば
およそ二百もありとかや
四五 春は白山公園地
一つににほふ梅櫻
夏は涼しき日和山
鯛つる舟も目の前に
四六 汽船の煙海をそめ
商家の軒は日をおほふ
げにも五港の一つとて
戸數萬餘の大都會
四七 新潟港を舟出して
海上わづか十八里
佐渡に名高き鑛山を
見てかへらんも益あらん
四八 佐渡には眞野の山ふかく
順德院の御陵あり
松ふく風は身にしみて
袂しぼらぬ人もなし
四九 波路やすけく直江津に
かへりてきけば越中の
伏木にかよふ汽船あり
いざ乘りかへて渡海せん [2]
五十 富山は越中繁華の地
此處よりおこる鐵道は
加賀越前をつらぬきて
東海道にであふなり
五一 藥に名ある富山市は
神通川の東岸
はるかに望む立山は
直立九千九百尺
五二 商業繁華の高岡を
すぎて福岡石動の
次に來るは津幡驛
七尾にゆかば乘りかへよ
五三 加賀越中の境なる
俱梨伽羅山は義仲が
五百の牛に火をつけて
平家せめたる古戰塲
五四 津幡七尾の其間
すぎゆく驛は八九箇所
邑智の潟の青波に
さをさす舟も羨まし
五五 七尾は能登の一都會
入海ひろく舟おほし
ちかき輪島の温泉は
町きよらかに客たえず
五六 津幡にかへり乘りかへて
ゆけば金澤ステーシヨン
百万石の城下とて
さすが賑ふ町のさま
五七 名も兼六の公園は
水戸岡山と諸共に
かぞへられたる吾國の
三公園の其一つ
五八 柳みどりに花赤く
おちくる瀧の水白し
雲にそびゆる銅像は
西南役の紀念碑よ
五九 第九師團も縣廳も
皆此町にあつまりて
海の外迄ひゞきたる
その産物は九谷燒
六十 松任美川うちすぎて
わたる手取の川上に
雪を常磐の白山は
雲まにたかく聳えたり
六一 小松の北におとたかく
ながるゝ水は安宅川
安宅の關は何くぞと
問はば嵐やこたふらん
六二 折りたく柴の動橋
武士が帶びたる大聖寺
此處ろ細呂木すぎゆけば
いろはの金津むかへたり
六三 三國港の海に入る
日野川こえて福井驛
此處に織り出す羽二重は
輸出の高も數千萬
六四 大土呂鯖江あとにして
武生鯖波はしりゆく
汽車は今こそ今庄に
つきて燧の城も見つ
六五 海のながめのたぐひなき
杉津をいでて
入ればあやしやいつのまに
日はくれはてゝ暗なるぞ
六六 敦賀はげにもよき港
おりて見てこん名所を
氣比の松原氣比の海
官幣大社氣比の宮
六七 身を勤王にたふしたる
耕雲齋の碑をとへば
松の木かげを指さして
あれと子供はをしへたり
六八 疋田柳瀨中の鄕
すぎゆく窻に仰ぎ見る
山は近江の賤が嶽
七本鎗の名も高し
六九 豐太閤の名をとめし
轡の森は木の本の
地藏と共に人ぞ知る
汽車の進みよ待てしばし
七十 縮緬山地の長濱に
いでゝ見わたす琵琶の海
大津にかよふ小蒸汽は
煙ふきたて人をまつ
七一 驛夫の聲におどろけば
眠はさめて米原に
つきたる汽車の速かさ
みかへる伊吹雲ふかし
七二(終) おもへば汽車のできてより
狹くなりたる國の內
いでし上野の道かへて
いざやかへらん新橋に