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== 作者 == | == 作者 == | ||
詞 大和田建樹 | 詞 大和田建樹 | ||
曲 多梅稚 | 曲 多梅稚 | ||
作 上眞行 | 作 上眞行 | ||
== 歌詞 == | == 歌詞 == | ||
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一 夏尚寒き布引の 瀧の響を後にして | 一 夏尚寒き布引の 瀧の響を後にして | ||
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二五 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は | 二五 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は | ||
山陽線路のをはりにて 馬関{{ | 山陽線路のをはりにて 馬関{{*|今[[下關市]]}}に延す汽車の道 | ||
二六 少しく後に立ちかへり 徳山港を船出して | 二六 少しく後に立ちかへり 徳山港を船出して | ||
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春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや | 春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや | ||
三一 門司よりおこる九州の 鉄道線路をはるばると | |||
ゆけば大里の里すぎて ここぞ小倉と人はよぶ | |||
三二 これより汽車を乗りかへて 東の浜に沿ひゆかば | |||
城野行橋宇島を すぎて中津に至るべし | |||
三三 中津は豊前の繁華の地 頼山陽の筆により | |||
名だくなりし耶馬渓を 見るには道を遠からず | |||
三四 白雲かかる彦山を 右にながめて猶ゆけば | |||
汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん | |||
三五 歴史を読みて誰も知る 和気清麿が神勅を | |||
請ひまつりたる宇佐の宮 あふがぬ人は世にあらじ | |||
三六 小倉に又も立ちもどり ゆけば折尾の右左 | |||
若松線と直方の 道はここにて出あひたり | |||
三七 走る窓より打ち望む 海のけしきのおもしろさ | |||
磯に貝ほる少女あり 沖に帆かくる小舟あり | |||
三八 おとにききたる箱崎の 松かあらぬか一むらの | |||
みどり霞みて見えたるは 八幡の神の宮ならん | |||
三九 天の橋立三保の浦 この箱崎を取りそへて | |||
三松原とよばれたる その名も千代の春のいろ | |||
四〇 織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと | |||
川をへだてて福岡の 町もまぢかくつづきたり | |||
四一 まだ一日とおもひたる 旅路は早も二日市 | |||
下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を | |||
四二 千年のむかし太宰府を おかれしあとは此処 | |||
宮に祭れる菅公の 事蹟かたらんいざ来れ | |||
四三 醍醐の御代の其はじめ 惜しくも人にそねまれて | |||
身になき罪をおはせられ つひに左遷と定まりぬ | |||
四四 天に泣けども天言はず 地に叫べども地もきかず | |||
涙を呑みて辺土なる ここに月日を送りけり | |||
四五 身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 | |||
かたみの御衣を朝毎に ささげてしぼる袂かな | |||
四六 あはれ当時の御心を おもひまつればいかならん | |||
御前の池に鯉を呼ぶ 乙女よ子等よ旅人よ | |||
四七 一時栄えし都府楼の あとをたづねて分け入れば | |||
草葉をわたる春風に なびく菫の三つ五つ | |||
四八 鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺 | |||
仏も知るや千代までも つきぬ恨の世がたりは | |||
四九 宰府わかれて鳥栖の駅 長崎ゆきのわかれ道 | 四九 宰府わかれて鳥栖の駅 長崎ゆきのわかれ道 | ||
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五四 誉の花も咲にほふ 花岡山の招魂社 | 五四 誉の花も咲にほふ 花岡山の招魂社 | ||
雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙 | 雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙 | ||
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かしこも楽しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友 | かしこも楽しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友 | ||
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[[分類:鐵道唱歌]] |
2024年5月26日(日)16時30分 基準 最新版
作者 [編輯]
歌詞 [編輯]
一 夏尚寒き布引の 瀧の響を後にして
神戸の里を立出づる 山陽線路の汽車の旅
二 兵庫鷹取須磨之浦 名所舊蹟數多し
平家の若武者敦盛が 討たれし跡も此處と聞く
三 其最後迄携へし 青葉の笛は須磨寺に
今も殘て寶物の 中にあるこそ合れ成れ
四 九郎判官義經が 敵陣目掛て落たる
鵯越や一谷に 皆此名所の内ぞかし
五 舞子の松の木の間依 真近見許淡路島
夜は岩屋の燈台も 手に取る如く影證
六 明石の浦の風景を 歌に読たる人麿の
社は此か島が暮 漕ぎ行く船も面白や
七 加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の
松のあらしに伝へくる 鐘も名だかき尾上寺
八 阿弥陀は寺の音に聞き 姫路は城の名にひびく
ここより支線に乗りかへて ゆけば生野は二時間余
九 那波の駅から西南 一里はなれて赤穂あり
四十七士が仕へたる 浅野内匠の城のあと
一〇 播磨すぐれば焼物の 名に聞く備前の岡山に
これも名物吉備団子 津山へ行くは乗りかへよ
一一 水戸と金沢岡山と 天下に三つの公園地
後楽園も見てゆかん 国へ話のみやげには
一二 霊感今にいちじるく 讃岐の国に鎮座ある
金刀比羅宮に参るには 玉島港より汽船あり
一三 畳おもての備後には 福島町ぞ賑はしき
城の石垣むしのこす 苔に昔の忍ばれて
一四 武士が手に巻く鞆の浦 ここよりゆけば道三里
仙酔島を前にして 煙にぎはふ海士の里
一五 浄土西国千光寺 寺の名たかき尾道の
港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり
一六 糸崎三原海田市 すぎて今つく広島は
城のかたちもそのままに 今は師団をおかれたり
一七 日清戦争はじまりて かたじけなくも大君の
御旗を進めたまひたる 大本営のありし土地
一八 北には饒津の公園地 西には宇品の新港
内海波も静なり 呉軍港は近くして
一九 己斐の松原五日市 いつしか過ぎて厳島
鳥居を前にながめやる 宮島駅につきにけり
二〇 汽笛鳴らして客を待つ 汽船に乗れば十五分
早くもここぞ市杵島 姫のまします宮どころ
二一 海にいでたる廻廊の 板を浮かべてさす汐に
うつる灯籠の火の影は 星か蛍か漁火か
二二 毛利元就この島に 城をかまへて君の敵
陶晴賢を誅せしは のこす武臣の鑑なり
二三 岩国川の水上に かかれる橋は算盤の
玉をならべし如くにて 錦帯橋と名づけたり
二四 風に糸よる柳井津の 港にひびく産物は
甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味
二五 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は
山陽線路のをはりにて 馬関[1]に延す汽車の道
二六 少しく後に立ちかへり 徳山港を船出して
二十里行けば豊前なる 門司の港につきにけり
二七 向の岸は馬関にて 海上わづか二十町
瀬戸内海の咽首を しめてあつむる船の数
二八 朝の帆影夕烟 西北さしてゆく船は
鳥も飛ばぬと音にきく 玄界灘やわたるらん
二九 満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるる此海は
源平両氏の古戦場 壇ノ浦とはこれぞかし
三〇 世界にその名いと高き 馬関条約結びたる
春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや
三一 門司よりおこる九州の 鉄道線路をはるばると
ゆけば大里の里すぎて ここぞ小倉と人はよぶ
三二 これより汽車を乗りかへて 東の浜に沿ひゆかば
城野行橋宇島を すぎて中津に至るべし
三三 中津は豊前の繁華の地 頼山陽の筆により
名だくなりし耶馬渓を 見るには道を遠からず
三四 白雲かかる彦山を 右にながめて猶ゆけば
汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん
三五 歴史を読みて誰も知る 和気清麿が神勅を
請ひまつりたる宇佐の宮 あふがぬ人は世にあらじ
三六 小倉に又も立ちもどり ゆけば折尾の右左
若松線と直方の 道はここにて出あひたり
三七 走る窓より打ち望む 海のけしきのおもしろさ
磯に貝ほる少女あり 沖に帆かくる小舟あり
三八 おとにききたる箱崎の 松かあらぬか一むらの
みどり霞みて見えたるは 八幡の神の宮ならん
三九 天の橋立三保の浦 この箱崎を取りそへて
三松原とよばれたる その名も千代の春のいろ
四〇 織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと
川をへだてて福岡の 町もまぢかくつづきたり
四一 まだ一日とおもひたる 旅路は早も二日市
下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を
四二 千年のむかし太宰府を おかれしあとは此処
宮に祭れる菅公の 事蹟かたらんいざ来れ
四三 醍醐の御代の其はじめ 惜しくも人にそねまれて
身になき罪をおはせられ つひに左遷と定まりぬ
四四 天に泣けども天言はず 地に叫べども地もきかず
涙を呑みて辺土なる ここに月日を送りけり
四五 身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩
かたみの御衣を朝毎に ささげてしぼる袂かな
四六 あはれ当時の御心を おもひまつればいかならん
御前の池に鯉を呼ぶ 乙女よ子等よ旅人よ
四七 一時栄えし都府楼の あとをたづねて分け入れば
草葉をわたる春風に なびく菫の三つ五つ
四八 鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺
仏も知るや千代までも つきぬ恨の世がたりは
四九 宰府わかれて鳥栖の駅 長崎ゆきのわかれ道
久留米は有馬の旧城下 水天宮もほどちかし
五〇 かの西南の戦争に その名ひびきし田原坂
見にゆく人は木葉より おりて道きけ里人に
五一 眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は
九州一之大都會 人口五萬四千有
五二 熊本城は西南の 役に名を得し無類の地
細川氏のかたみとて 今はおかるる六師団
五三 町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし
宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺
五四 誉の花も咲にほふ 花岡山の招魂社
雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙
五五 わたる白川緑川 川尻ゆけば宇土の里
国の名に負ふ不知火の 見ゆるはここの海と聞く
五六 線路分るる三角港 出で入る船は絶えまなし
松橋すぎて八代と 聞くも心のたのしさよ
五七 南は球磨の川の水 矢よりも早くながれたり
西は天草灘の海 雲かと見ゆる山もなし
五八 ふたたびかへる鳥栖の駅 線路を西に乗りかへて
ゆけば間もなく佐賀の町 城にはのこる玉のあと
五九 つかれてあびる武雄の湯 みやげにするは有田焼
めぐる車輪の早岐より 右にわかるる佐世保道
六〇 鎮西一の軍港と その名しられて大村の
湾をしめたる佐世保には 我が鎮守府をおかれたり
六一 南の風をハエと読む 南風崎すぎて川棚の
つぎは彼杵か松原の 松ふく風ものどかにて
六二 右にながむる鯛ノ浦 鯛つる舟もうかびたり
名も諫早の里ならぬ 旅の心やいさむらん
六三 故郷のたより喜々津とて おちつく人の大草や
春日長与のたのしみも 道尾にこそつきにけれ
六四 千代に八千代の末かけて 栄行く御代は長崎の
港にぎはふ百千船 夜は舷灯のうつくしさ
六五 汽車よりおりて旅人の まず見にゆくは諏訪の山
寺町すぎて居留地に 入ればむかしぞ忍ばるる
六六 わが開港を導きし 阿蘭陀船のつどひたる
みなとはここぞ長崎ぞ 長くわするな国民よ
六七 前は海原はてしなく 外つ国までもつづくらん
あとは鉄道一すじに またたくひまよ青森も
六八 あしたは花の嵐山 ゆふべは月の筑紫潟
かしこも楽しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友