鐵道(철도)唱歌(창가)(山陽(산양)-九州(구주)())

122.97.214.179 (討論(토론))님의 2024()5()22()())10()13() () (→‎歌詞(가사))

作者(작자)

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歌詞(가사)

山陽(산양)()

一  夏尚寒き布引の 瀧の響を後にして

   神戸の里を立出づる 山陽線路の汽車の旅

二  兵庫鷹取須磨之浦 名所舊蹟數多し

   平家の若武者敦盛が 討たれし跡も此處と聞く

三  其最後迄携へし 青葉の笛は須磨寺に

   今も殘て寶物の 中にあるこそ合れ成れ

四  九郎判官義經が 敵陣目掛て落たる

   鵯越や一谷に 皆此名所の内ぞかし

五  舞子の松の木の間依 真近見許淡路島

   夜は岩屋の燈台も 手に取る如く影證

六  明石の浦の風景を 歌に読たる人麿の

   社は此か島が暮 漕ぎ行く船も面白や

七  加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の

   松のあらしに伝へくる 鐘も名だかき尾上寺

八  阿弥陀は寺の音に聞き 姫路は城の名にひびく

   ここより支線に乗りかへて ゆけば生野は二時間余

九  那波の駅から西南 一里はなれて赤穂あり

   四十七士が仕へたる 浅野内匠の城のあと

一〇 播磨すぐれば焼物の 名に聞く備前の岡山に

   これも名物吉備団子 津山へ行くは乗りかへよ

一一 水戸と金沢岡山と 天下に三つの公園地

   後楽園も見てゆかん 国へ話のみやげには

一二 霊感今にいちじるく 讃岐の国に鎮座ある

   金刀比羅宮に参るには 玉島港より汽船あり

一三 畳おもての備後には 福島町ぞ賑はしき

   城の石垣むしのこす 苔に昔の忍ばれて

一四 武士が手に巻く鞆の浦 ここよりゆけば道三里

   仙酔島を前にして 煙にぎはふ海士の里

一五 浄土西国千光寺 寺の名たかき尾道の

   港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり

一六 糸崎三原海田市 すぎて今つく広島は

   城のかたちもそのままに 今は師団をおかれたり

一七 日清戦争はじまりて かたじけなくも大君の

   御旗を進めたまひたる 大本営のありし土地

一八 北には饒津の公園地 西には宇品の新港

   内海波も静なり 呉軍港は近くして

一九 己斐の松原五日市 いつしか過ぎて厳島

   鳥居を前にながめやる 宮島駅につきにけり

二〇 汽笛鳴らして客を待つ 汽船に乗れば十五分

   早くもここぞ市杵島 姫のまします宮どころ

二一 海にいでたる廻廊の 板を浮かべてさす汐に

   うつる灯籠の火の影は 星か蛍か漁火か

二二 毛利元就この島に 城をかまへて君の敵

   陶晴賢を誅せしは のこす武臣の鑑なり

二三 岩国川の水上に かかれる橋は算盤の

   玉をならべし如くにて 錦帯橋と名づけたり

二四 風に糸よる柳井津の 港にひびく産物は

   甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味

二五 出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は

   山陽線路のをはりにて 馬関下關市()に延す汽車の道

二六 少しく後に立ちかへり 徳山港を船出して

   二十里行けば豊前なる 門司の港につきにけり

二七 向の岸は馬関にて 海上わづか二十町

   瀬戸内海の咽首を しめてあつむる船の数

二八 朝の帆影夕烟 西北さしてゆく船は

   鳥も飛ばぬと音にきく 玄界灘やわたるらん

二九 満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるる此海は

   源平両氏の古戦場 壇ノ浦とはこれぞかし

三〇 世界にその名いと高き 馬関条約結びたる

   春帆楼の跡とひて 昔しのぶもおもしろや